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日本ナボコフ協会発足にあたって富士川義之(日本ナボコフ協会会長、1999-2004)ウラジーミル・ナボコフがロシアのサンクト・ペテルブルグで生まれたのは、1899年のことであります。つまり本年はナボコフ生誕100年にあたり、世界各地でそれを祝う行事や研究集会が開かれています。 たとえば、春にはニューヨークのギャラリーでナボコフ作品の初版本の 展示会があって盛況だったというし、7月初旬には彼の母校の英国ケンブ リッジ大学で大規模な国際研究集会が開かれます。 わが国でもナボコフ生誕100年を記念して、「日本ナボコフ協会 」を設立するはこびになりました。その発足大会が5月15日に東京 大学文学部で行われ、1936年にロシア語で書かれ、後にナボコフ自 身が英訳した短編「フィアルタの春」をめぐって記念シンポジアム が開かれたほか、ロシアで製作されたテレビ映画も上映されました。 一般のナボコフファンを含む約70名の研究者が参加して盛況でした。 ナボコフはまったくユニークな、まことに比類のない作家歴の持主です。ロシア革命をきっかけに亡命したベルリンやパリではロシア語(時にはフランス語)で、40年にアメリカへ移住してからは英語で執筆し、しかも見事な成功をおさめた稀有な作家であります。「一身にして二生を経る」という実に驚嘆すべき生き方を実現した人生の達人だったと言ってよいでしょう。 そのような他に類例のないバイリンガルな作家なので、ロシア語圏ではもっぱらロシア作家として、英語圏では英語作家として長い間遇されがちでした。言いかえれば、ロシア文学者は渡米以前のロシア語時代の作品を主に研究し、英米文学者は渡米後に英語で書かれた『ロリータ』や『青白い炎』や『アーダ』などを主要な研究対象としてきました。 しかしよく考えてみると、こうした研究上の役割分担というのは必ずしも好ましいあり方ではない。何よりもロシア語と英語を駆使して活発な執筆活動を行ったバイリンガルな作家ナボコフの全体像に迫るのに最もふさわしい研究態度とは思えません。そのような反省の上に立って、ナボコフを愛読する、英米文学者とロシア文学者が研究上の交流をはかり、情報交換の場をつくることを目ざす、日本ナボコフ協会がこのたび発足したのであります。 個人的なことを言えば、わたしがナボコフ文学の魅力に開眼したのは、ほぼ30年前、『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』を読んだことがきっかけでした。70年には、英語で書かれたこの最初の小説を翻訳する機会に恵まれましたが、わたしがまず魅せられたのは、自分の心の奥底にこびりついた記憶のエッセンスを精妙きわまる文体によって喚起させ、手応えある確固たる実在に念入りに仕立て上げていくという、ほとんど魔術師にも似たナボコフの力業でした。そしてどの作品でも、その細部のひとつひとつがまるで宝石のように輝いていることを発見して感嘆せずにはいられませんでした。 この30年間に、ナボコフ文学は疑いもなく20世紀文学の古 典の位置を確保しました。しかし、古典作家として敬して遠ざけるのではなく、 数多くの作品の中にいまも生きている、そして現代に訴えかけてくるナボコ フに何より注目したいと考えています。さらに過去のロシア文学との、あるいは 英米文学との関連でも、まだほとんど未開拓の研究課題が山積しているように見えます。 そのようなナボコフ文学の魅力を一層深く味わい究めるために、ナボコフに関心を持つ研究者や一般読者がつどう場を設けようというのが、日本ナボコフ協会設立のそもそもの動機であります。会員の皆様のご支援を得ながら、日本ナボコフ協会の今後の活動を進めていきたいと念じているところなので、どうかよろしくお願い申し上げます。 |
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